最近、毎月のように結婚式がある。
先月は従兄弟と親友が結婚するのに合わせて、日本に一時帰国した。祖母は式の間中、ボクのおかげで二人がくっついたと感謝を述べつつ、次はトモヤの番だねと繰り返していた。
そして新年が明けたら、できちゃった婚をする友だちの式に、タキシードを着て付添人として出席する。ハリウッド映画なんかで、新郎と新婦が誓いをする際、横に立っている男女たちがそうである。
ようやく米国ウェディングにも慣れてきて、日本との違いが見えてきた。
こっちの若いカップルは、
結婚式用のホームページを作って、式の案内はもちろんのこと、出会いやプロポーズの秘話なんかも載せる。10月に式を挙げた同僚のブルックは、ウェブサイトではなく、新聞を刷って、式の前に招待客に送っていた。二人の結婚までのストーリーを同僚記者が取材して記事にし、新郎と新婦がお互いの人物紹介記事を書く。広告やクロスワードパズルまで取り入れる凝りようだ。
贈り物には、小切手を渡すか、カップルがあらかじめ選んでおいた欲しいものリスト(registryという)から注文するのが一般的。貧乏記者には助かることに、日本のお祝儀に比べると額は少ない。新郎・新婦との関係などにもよるが、友だちなら100ドルくらいが一般的。
式は日本に比べると、もう少しバラエティーがある。フォーマルな式を好む人もいれば、形式にとらわれないウェディングを望むカップルも多い。大学院時代のルームメイトは、大学フットボールチームのテーマに沿った演出を散りばめていた。
参加者の服装も思い思いで、中には普段着と変わらない格好でやってくる人もいる。ブルックの結婚式では、新郎と男性の付き添い人たちが、白のタキシードにお揃いのサンダルをはいて結婚の誓いを行った。
ただし、どの式にもダンスはつきもので、ボクは当初はひるんでいたものの、最近では羞恥心も吹き飛び、周りの苦笑を買いながらも硬い腰を奇妙にくねらせ、ダンサーたちの輪に入っていくようになった。
細かな習慣の違いはあれど、新郎や新婦の一生忘れられないような式にしたいという気持ちは、どの国でも変わらない。
学生ローンに苦しむブルックは、少しでも安くあげようと、業者にはいっさい頼まず、一年をかけて手作りの結婚式を準備した。食事やカメラマン、DJなどは、友だちや知り合いに頼んで回り、花やその他のデコレーションはほとんど自分たちで作ったという。式が迫ってきたある日、緊張と準備からくるストレスで、ブルックが仕事中に涙を流す場面も。その苦労を知る者としては、式でことさら感動してしまった。
ちなみにボクは、男性版のブーケトスである、ガータートスでは今のところ二連勝中である。若い頃にバスケで培ったリバウンド力と、飢えたオオカミのような集中力を発揮している。にも関わらず、その効果は全く現れていない。