自己紹介

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米カリフォルニア州オレンジ郡を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書く数少ないジャーナリスト。 アメリカの現地新聞社で、政治や経済、司法、スポーツなどあらゆる分野の記事を取材・執筆。 2012年には、住宅バブル崩壊が南カリフォルニア住民に与えた影響を調査した記事で、カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞を受賞。2017年には、ディズニーや開発業者が行った政治献金を明るみに出した記事で、オレンジ郡記者団協会の調査報道賞を受賞。 大谷翔平の大リーグ移籍後は、米メディアで唯一の日本人番記者を務める。

2009年11月27日

感謝祭ランチ

感謝祭の朝。出勤の準備をしようとベッドから起きると、一階からいい匂いが漂ってくる。階段を下りてキッチンを覗くと、なんとルームメイトが包丁を握って料理をしている。カウンターの上は材料でいっぱい。男三人暮らしを始めてこんなことは始めてである。ホットドッグやパスタのような簡単なものは自炊するが、本腰入れて料理を作る者はいなかった。

聞くとガールフレンドと一緒に感謝祭料理を用意しているとのこと。彼女の家でその子供たちと食事をするものばかりと思っていたので、不意をつかれた。もう一人のルームメイトも呼んで、みんなで昼食を食べようと誘ってくれた。彼らの優しさに感謝のサンクスギビングである。


典型的な感謝祭の食事。マッシュドポテト、スタッフィング(詰め物)、ビスケット、マカロニチーズ、七面鳥。ホワイトハウスでも、感謝祭を祝って似たような食事が並んだようだ。大統領のお気に入りは七面鳥とかぼちゃパイだという。


ルームメイトとその彼女に感謝。

デザートにパイも出たが、メインを食べ過ぎて腹に入りきらなかったので、仕事後に頂戴した。こうした歯止めのきかない食生活で、サンクスギビングからクリスマスにかけてアメリカ人は太っていく。ボクも注意しなくては。


誰もいないオフィス。感謝祭に働く記者はボクを含めてわずか数人だった。

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元鞘なのか?

4年前にアメリカに来て以来、日本の様子はインターネットのニュースでチェックするくらいだが、プロ野球が以前のような賑わいを見せていることにちょっと驚いている。しかも楽天や日ハムといったパ・リーグの躍進が目立つ。

ボクが米国でスポーツ経営を学ぼうと思ったきっかけの一つが、プロ野球の人気低迷と経営状況の悪化だった。近鉄とオリックスの合併に始まり、1リーグ制への流れも表面化。選手会による、日本プロ野球史上初のストライキも行われた。メジャーリーグもストライキの影響のに苦しんでいたとはいえ、経営面での日米差は明らかだった。

その後の日本プロ野球を詳しく追っていたわけではないが、関係者に話を聞く限り、各チームとも地域に根ざした経営、選手とファンの距離を埋める試みに取り組んだようである。地上波の視聴率(ようは巨人戦ナイターの視聴率)が低下しているようだが、それは巨人への一極集中化時代が終わりを告げたということに他ならない。地方の人気球団は地元テレビや衛星放送と契約を結んで、高視聴率を記録するようになったと聞く。そもそもインターネットの普及が進み、消費者の嗜好が多様化する今の時代、視聴率20パーセントというのは簡単な話ではない。

日本代表のWBC連覇もあって、盛り返しの機運を見せるプロ野球。これからの動向が楽しみである。

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2009年11月26日

眠い(職場より)

明日は感謝祭でオフィスが休み。連休前に社員が早く帰宅できるようにと、紙面入稿の締め切りがいつもの午後11時半ではなく8時半である。仕事が早く終わるのは嬉しいのだけど、始業もいつもより早め。3時出勤の生活に慣れているので、早起きがつらいのなんの。スポーツ記者は完全に夜型生活になってしまうのだ。我慢できずにスターバックスで購入したカプチーノも、全く効き目がない。

うちはライバル紙に比べて締め切りが遅く、夜遅い試合でも翌日の新聞に載せることができる。それに慣れたお年寄りの読者は、明日の新聞を見てがっかりするに違いない。NBAや大学バスケは7時に始まる試合もあるが、残念ながらそれを待ってはいられない。米国では東海岸と西海岸で3時間の時差がある。東海岸の新聞社にとっては向こうの10時に始まる西海岸の試合は悩みの種に違いないと、こういう時だけ同情心がわいてくる。

感謝祭といえど新聞はきちんと発行されるので、取材の他に紙面デザインも手がけるボクらスポーツ局は、誰もいないオフィスに明日も出勤しなくてはならない。家族がこっちにいないボクは、同僚が家族で休日を過ごせるようにと、こういう時はなるべくシフトを引き受けるようにしている(特別手当もつくし)。感謝祭の伝統ともなったNFLをオフィスで観戦しながらの、まったりとした一日になりそうだ。

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2009年11月24日

マウアー、満場一致でのMVPを逃す

アメリカンリーグのMVPに、ツインズのジョー・マウアー捕手が選ばれた。マウアーはイチローをしりぞけての2年連続首位打者を獲得しただけでなく、出塁率(.444)と長打率(.587)でもリーグ一位。このペースを保てれば、「史上最高のキャッチャー」と呼ばれる日も近いことだろう。

マウアーは投票権を持つ28人の記者中、27人の1位票を集めたが、なんとシアトルの(というよりもイチローの)番記者である小西慶三氏がタイガースのミゲル・カブレラ内野手に1位票を投じたことで、2002年のバリー・ボンズ以来となる満場一致でのMVPを逃すこととなった。これを受けて、アメリカのファンたちの間で、小西氏に対する批判の声が高まっている。

カブレラは今季スランプに苦しみながらも、それなりの成績を残したが、マウアーの打撃成績には到底及ばない。難しいキャッチャーの守備でも一流であるマウアーに対し、カブレラの一塁での守備はお世辞にも上手とは言えない。しかも彼はチームがプレイオフ争いをしていたシーズン終盤、飲酒をきっかけとした家庭内での暴力沙汰で警察に連行されていた。残念ながらカブレラが今季最高の選手であったという理由は見つからない。しかも全体2位、3位のマーク・テシェイラとデレク・ジーターを差し置いての一票である。

ただでさえ伝統的なデータや、選手の人気・評判を偏重していると批判される全米野球担当記者協会。今年のサイ・ヤング賞に、勝ち数では見劣りするロイヤルズのザック・グレインキー投手を選出してセイバーメトリシャンの支持を得ただけに、小西氏の不可解な投票は痛手であろう。これをきっかけに日本人記者の信頼が損なわれなければいいのだが。

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2009年11月21日

米国食紀行 第一回

世界一の肥満大国アメリカ。その理由はいくつか考えられるが、最大の理由は間違いなくその食生活にある。

フランス人ならワイン、日本人ならお茶のところを、アメリカ人はコーラをがぶ飲みする。オフィスでポテトチップスをかじりながらパソコンに向かうサラリーマン。パンケーキを10段重ねくらいにして、その上から大量のシロップを垂れ流す光景は映画だけではない。一日一回ファーストフードというのも珍しくない。

日本人がアメリカで食事をすると、その量と濃い味付けに度肝を抜かれる。中華料理店で、チャーハンにこれでもかというくらいに醤油をかけるアメリカ人をどれだけ目にしてきたことか。かの海原雄山は、美味しんぼ9巻でハンバーガーショップを開こうとする弟子に対して、「そのおまえが、味覚音痴のアメリカ人の食べる、あの忌まわしいハンバーガーを!」とまで言い放った。

しかしアメリカといっても実に多様である。多民族が入り混じって暮らす米社会では、挑戦心さえあれば日々新しい発見があるほど、豊富な食材やレストランであふれている。ボクの住むような田舎でも、メキシカンや中華はもちろんのこと、韓国からインド、中東系までレストランがそろっている。非常に多様な食文化に囲まれているにも関わらず、ハンバーガーやピザしか食べられないアメリカ人がいるのは残念極まりない。

ボクはむしろその逆で、日々新しい食に出会わなければ満足しない。頼んだことのない品を注文するのがモットーである。メニューを見ていて、何だか分からないものがあれば、大抵それを選ぶ。ハンバーガーにせよ寿司にせよ、それぞれの料理には、それが育まれた環境や背景というものがあり、そうした歴史をかみ締めながら味わうのは楽しい。

これから不定期に、日々ボクがアメリカで出会った料理やレストランを紹介していこうと思う。名づけて、「米国食紀行」。金のない身分上、洒落たレストランはあまり登場しないが、ガイドブックとはまた一味違ったアメリカを知っていただけるかもしれない。



さっそくだが、数日前にメキシコ系スーパーマーケットで食べた料理である。



トスターダ。メキシコ料理には必ずついてくるトルティーヤと呼ばれる薄焼きパンをトーストした上に、エビのマリネとアボカドをのせたものである。セビチェと呼ばれる中南米の魚介類のマリネはさっぱりとしていて食が進むので、ボクはよくスーパーで買って白米と一緒に食べている。



一緒に頼んだ鶏肉のスープ。右についているのがトルティーヤである。

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2009年11月12日

シアトルで最も愛される男

ケン・グリフィー・ジュニア(39)がシアトル・マリナーズと一年契約に合意した。

ひざに故障を抱えるグリフィーは、今季は指名打者として古巣の再建に力を貸した。シアトルのファンの間では、今回の契約に賛否両論の声が上がっているようだが、グリフィーのチームへの貢献は個人成績だけでは測れない。

昨年まで不穏な空気が漂っていたマリナーズのクラブハウスが、今年一転して明るくなったのはグリフィーの加入が大きいと言われている。これはボクもマリナーズを取材した時に少なからず実感した。

グリフィーは試合前のロッカールームで誰彼かまわずジョークを飛ばしたり、いたずらをしたりする。同じ時期にマリナーズへ移籍したベテランのマイク・スイーニーにサプリメントの一気飲みをさせてチームを沸かせたり、初対面のボクが掲示板を読んでいるのを邪魔してきたりと、とどまるところを知らない。

これまで特別な存在だったイチローとて例外ではない。グラウンドでウォームアップしていたイチローに突然襲いかかって、力ずくで地面に押し倒し、上からのっかかってギブアップさせた。笑顔でじゃれあう二人はまるで小学生である。グリフィーがやって来るまで、スターのイチローにそんなことをできる選手はいなかったであろう。

その後、ボクがクラブハウスとダッグアウトを結ぶ通路を歩いていると、イチローが「ジョージ(グリフィーのニックネーム)」と叫びながら笑顔で駆け抜けていった。ロッカールームで一人静かに着替えていた男と同一人物とは思えない。

イチローのみならず、多くの大リーガーから尊敬を集めるグリフィー。長年苦しんできた怪我がなければ、どれだけの記録が打ち破られていたことか、今では想像することしかできないが、彼の野球界での功績が数字だけではないことを、もう一年噛み締めることになるに違いない。

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忘れられないラブストーリー

合衆国最高裁判所元判事サンドラ・デイ・オコナーの夫で、17年以上に渡ってアルツハイマー病と闘ってきたジョン・オコナー3世が亡くなった。

サンドラが女性として初の合衆国最高裁判所判事に指名された1981年、彼女についてワシントンに行くため、ジョンは勤めていた由緒ある法律事務所を辞めた。

記者に「彼女のサポート役に徹することについてどうお考えですか」と聞かれたジョンは、「サンドラの功績は私の存在を下げたりなんかしないよ。むしろ私を一人の人間として満たしてくれるんだ」と答えたという

そんなジョンとサンドラは、二人がスタンフォード大学のロースクールで論評の校正をしている時に出会った。一年後には、サンドラが子供の頃に暮らしていた牧場で結婚式を挙げ、やがて三人の子供をもうけた。ワシントンの社交界では、ダンス好きのカップルとして知られるようになる。

ところがジョンがアルツハイマーにかかり、病状が悪化したため、サンドラは2006年に判事を辞職し介護に専念する。徐々に記憶を失っていったジョンは、50年以上連れ添ってきたサンドラのこともついには忘れてしまい、別のアルツハイマー患者と恋に落ちてしまう。

家族はそのあまりに冷酷な現実にショックを受けるが、サンドラは夫の幸せのためならと、ジョンの恋愛を容認した。

夫の喜びが自分にとっての幸せ。これ以上の愛情があるだろうか。

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2009年11月9日

米国スポーツ業界で働くには

シアトル・マリナーズ傘下1A、ハイデザート・マーベリックスのゼネラルマネージャーを務めるティム・アルティアに、その仕事内容についてインタビューをした。

ティムは2005年のウィンターミーティングでマーベリックスに雇われ、昨年のオフシーズンに27歳でゼネラルマネージャーに昇進。メジャーリーグとは違って、マイナーリーグのゼネラルマネージャーは、文字通りゼネラリストととして、あらゆる業務をこなさなくてはならない。記者席からスタジアムの様子を眺めていると、座席磨きから苦情の対処まで忙しく動き回るティムの姿が目に入ってくる。

日本でもスポーツ経営が注目されるようになり、米国でスポーツを取材をしていると、たまに日本人の職員を見かけることがある。アメリカの大学でスポーツ経営学を学ぶ日本人学生も増えてきた。ティムは名門コーネル大学で生物科学を専攻していた異色の経歴の持ち主。彼がいかにして今の職にたどりついたのか、従業員を雇うときにどんなことを重視するのかなどを聞いてみた。


ゼネラルマネージャーとして、普段どんな業務を行っていますか?

ほとんど全てのことです。おかげで毎日が新鮮で楽しいです。オフシーズンには次の年に何をするのか計画します。試合中のプロモーションや、相手チームが泊まるホテルの手配、スポンサー探し、それからチケット販売なんかです。それからフルタイムの職員を雇うため、ウィンターミーティングに行ったり、新しい職員の指導にあたったりします。予算の作成といった財務も行います。

メジャーリーグとマイナーリーグのゼネラルマネージャーはどのように違いますか?

大きな違いがあります。メジャーリーグのゼネラルマネージャーはチーム編成や育成など、主に野球の運営に関わります。それが彼らの一番大切な仕事です。メジャーには、ビジネス業務の指揮を任されている球団社長がいて、ゼネラルマネージャーと一緒に仕事をしますが、異なった任務を受け持ちます。

一方、マイナーリーグのゼネラルマネージャーは、主にビジネスを担当し、チーム編成には携わりません。それは提携しているメジャーリーグのチームを通じて行われます。メジャーリーグ球団が選手やコーチを送り込んできて、私はそれに口を出すことはできません。

どのような経緯でゼネラルマネージャーに就任したのですか?

ここへは新人の会計担当としてやってきて、毎年少しずつ昇進しました。二年目はセールス担当です。三年目は主にプロモーションとスポンサーを担当し、シーズン後に当時GMだったデレル・イーバートが(親会社の)ブレットスポーツ社が所有する他チームへと移ったので、私に声がかかったのです。

ゼネラルマネージャーとしての一年目はいかがでしたか?

昨年のシーズン後に就任したのですが、これまで気づかなかったことや学ぶことがたくさんありました。オフシーズンは不況も影響して大変でした。チケット購入を先延ばしにするファンも多く、我々も出費には気を遣いました。秋から冬にかけてはフルタイムの職員も少なく、私と二人のアシスタント・ゼネラルマネージャーだけ。10月から12月はとにかくセールスに力を入れ、毎日地元企業へ出かけていきました。一月に他のスタッフが戻ってきた時はほっとしましたね。

シーズン開幕が近づいてきて、選手たちが街にやってくるとやはりわくわくします。特に今年はチームが強いと分かっていたので。前半戦で地区優勝したときはファンも沸きました。(マーベリックスは後半戦も優勝したが、リーグ優勝決定戦で惜しくも敗北。)

不況はスポンサー探しにも影響しましたか?

平年よりも大変でした。毎年、ほぼ自動的に契約を更新してくれるような会社でも、今年は話が別。自動車ディーラー、不動産、銀行は長年のお得意先なのですが、それらの産業は不況のあおりを最も受けたので、我々も大変でした。観客動員はよかったのですが、スポンサー収入は明らかに減りました。

ゼネラルマネージャーをしていてよかったと感じるのはどんな時ですか?

最も満足感を得られるのは、ファンがスタジアムを去る時です。私は毎日、試合後にゲートに立って、スケジュールを配ったり、ファンと話をしたりします。子供が「楽しかったね」と言って、親に「また来ますね」なんて言われるのが、一番この仕事をしていてよかったと感じる時です。家族が楽しい時間を過ごせるようにするのが、私たちの役目ですから。

コーネル大学で生物科学を専攻した後、どうして野球の世界に入ろうと思ったのですか?

大学時代、専攻していた分野での就職を考えてみたのですが、どうもしっくりきませんでした。海洋生物学を集中的に勉強していて、スキューバダイビングの資格を取ったり、夏には海洋研究所で授業を取ったりもしていました。それはそれでよかった。素早く文章を読むことに慣れ、分析力が身につきましたし、エクセルのスプレッドシートも使えるようになりました。

ただ生物科学で学士をとっても、シーワールドに就職するか、大学院に進むか、その後の選択肢はあまり多くありません。それでニューヨークにある保険コンサルティング会社にアナリストとして就職し、財務諸表や予算についてたくさんのことを学びました。二年間そこに勤める中で、お金を貯めながら、将来何をするのかを考えました。

でもスポーツにはずっと興味があったので、野球のウィンターミーティングに行き、そこでマーベリックスの仕事を見つけたのです。最初はしばらくやってみて、自分に合うかを見極めようという気持ちでしたが、気に入ったので今でも続けています。

スポーツ業界で働きたいと思っている人に何かアドバイスはありますか?

必ずしもスポーツマーケティングを専攻する必要はないと伝えます。ただ、プラス材料にはなります。私も書類専攻でそれを見ますから。私が学校で学ばなかったことを知っているかもしれませんし(笑)。

どこかでインターンの経験を積むことがとても大切です。住宅探しをしなくてすむという点で、地元で見つけるのがベストです。野球はチーム数が多いので、バスケットボールなんかに比べると仕事を見つけやすいです。インターンシップでは、その人が長期で仕事に関わる気持ちがあるのかを判断することができます。給料がタダ同然な上、お金をもらっている職員たちがやらないような雑務をこなさなくてはならないので、熱意が表れてきます。私たちのスタッフも、インターンシップから始めた者ばかりです。マーベリックスでというわけではなく、どこか別のチームでですが。

職員たちは全米から集まってきています。私もニューヨーク出身です。インターンシップを終えれば、その後の仕事探しも楽になります。一生懸命働けば、就職の際に推薦してもらいやすくもなります。私はレファレンス(応募者の人柄や能力について証言できる人)の言うことを重視します。履歴書だけじゃ分からないことが多いですから。

補足:米国では就職の際にレファレンスを記載することを求められる場合が多い。それは上司であったり、大学時代の教授であったりする。企業側はそこに連絡をとって、応募者についての第三者からの情報を得るのだ。

この業界で成功するのに必要な能力はなんですか?

柔軟性は必要です。変化の激しい業界ですから。たくさんのスタッフを指導・監督しなくてはならないので、忍耐力や対人スキルも欠かせません。マーベリックスにはパートタイムのスタッフが80人くらいいます。野次を飛ばす観客や、苦情を言ってくるお客さんもいますので、その対応をしなくてはならない。それに夜遅くまで試合が長引くことがあるので、短い睡眠時間でも平気な体力。野球は毎日試合があるので、やることは山ほどあります。

マーベリックスの職員はどのように雇うのですか?

フルタイムの職員を雇う時は、いくつかの就職フェアに出向きます。一つはブレットスポーツ社があるワシントン州スポケーン。もう一つは12月のウィンターミーティングです。地元で興味のある人とも面接をすることがありますが、ほとんどはウィンターミーティングですね。ウィンターミーティングに参加するにはお金がかかるので、そこに来ることで応募者はやる気を示すことができます。

野球シーズンは長いので、献身的に働ける人を雇います。向上心を持っていることも大切です。この業界でキャリアアップを目指している人ほど、学ぼうとする意欲が強いので、優れたスタッフになります。

パートタイムスタッフを雇う時は、自分たちでジョブフェアを開きます。(マーベリックスが位置する)サンバーナディーノ郡も何百という応募者を予備専攻する手伝いをしてくれます。その後、3月に二週間ほどかけて我々が2対1で面接を行い、試合のパートスタッフを雇います。空きがあればシーズン中に雇うこともあります。

マーベリックスのフルタイム職員になるための競争倍率はどれくらいですか?

フルタイム職員になるのはとても難しいです。一年に一人か二人の空きしかでないからです。そうした空きはほとんどが、ブレットスポーツ社の中でカリフォルニアに転勤したい社員によって埋められます。あとは推薦か、ウィンターミーティングですね。ウィンターミーティングには優秀な人材がたくさん来ますから。


インタビューを終えて

ボク自身、大学院でスポーツ経営を専攻していたので身にしみて分かっていることだが、スポーツ業界はタダ同然でも働こうという意欲のある人であふれている。その点では俳優やミュージシャンに近いものがある。その中で英語にハンデのある日本人が抜け出そうとするのであれば、ティムの言うような献身的な姿勢と向上心に加え、他の応募者にない強みを発揮しなくてはならない。ティムに質問したところ、英語ができないというのはやはり大きな障壁になるという。

それでも球場で笑顔を絶やさないティムの姿を見ていると、それだけの価値がある仕事なのだと感じさせてくれる。

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