一番下の子どもは8ヶ月で、10歳の長男は、父親が13歳、母親が14歳の時に産まれた。父親は不況の影響もあって仕事が見つからず、日中は食料やお金の調達に奔走している。生活補助は受けているが、7人の子どもを養うにはとても足りないという。
家族の暮らす公園は、単なるホームレスだけでなく、釈放された重犯罪者や性犯罪者がたむろす河原の対岸にある。僕らがいる間も、何人もの浮浪者が横を通ってこっちを眺めたり、奇妙な叫び声を上げたりしていた。
Facebookのマーク・ザッカーバーグが28歳で1兆円以上の資産を稼ぐ一方で、日々の食べ物に困る子どもたちがいるのが、アメリカという国。シリコンバレーが陽であるとすれば、ビクタービルは陰の部分である。今日の取材では、一つの家族の人生が、アメリカ社会が抱える問題を凄惨なまでに映し出していた。
新しい服がなくて学校に行くのが恥ずかしいという子どもたちだが、驚くほど純粋だった。僕が日本で生まれ育ったというと、他の子どもたちと全く変わらない笑顔と興味心で、「これは日本語で何ていうの」と何度も聞いてくる。お土産にトランプと日本の小銭を持って、仕事後に再び公園を尋ねると、僕の姿を見つけた子供たちが、満面の笑みを浮かべて走り寄ってきた。
公園のピクニックエリアで夕食を準備する両親にインタビューをしながら、子どもたちにトランプを教えたり、一緒にバスケットボールをして遊んだりした後、車に乗り込んでふと不思議な感覚にとらわれた。クーラーの効いた買ったばかりの車で、電気もガスも使えるアパートに帰って、肉と野菜がたっぷりの食事を食べる自分の生活が現実味を失ったのである。
ニュースや文献を読んで理解していたつもりだった貧困という問題を、初めて現実として突きつけられたからだろうか。この気持が残っているうちに、記事を仕上げなければ。
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