ラスベガスでの銃乱射事件がアメリカを震撼させています。
僕は昨日までインターネットもテレビもない国立公園に家族旅行に行っていたので、友達からのfacebookメッセージを見るまで、そんな事件が起きていることは全く知りませんでした。
今朝は仕事に戻って、オレンジカウンティの住民が数多く標的となったカントリーミュージックのコンサートに参加していたということを知りました。南カリフォルニアからラスベガスまでは車で3、4時間くらいなので、週末を使って旅行をする人も多いのです。
コンサート会場にいたというアーバイン在住のブシェイ夫妻と連絡が取れたため、僕もインタビューをして記事を書きました。
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ステージ近くに立っていた彼女らは、銃声音が聞こえ始めた当初は花火が上がったのかと思ったそうです。しかし、銃弾だと分かってからは、2万2千人が詰め掛けていた会場はパニック状態。どこから銃弾が飛んできているのか、襲撃者が何人いるのか分からないので、参加者たちは近くの建物に逃げ込んだそうです。
妻のケリーさんが19歳の娘さんと逃げ込んだホテルでは、他のコンサート参加者が部屋のドアをノックしていました。すると宿泊していた中年夫婦がドアをあけ、廊下にいたケリーさんたち約25人全員を部屋の中に入れてくれたそうです。
襲撃者がホテルにいるかもしれないという情報を聞いた彼らは、光や音を外に漏らさないようテレビを消し、窓のシェードを閉め、タオルでドアの隙間を塞いでから、ベッドルームで肩を寄せ合ってじっと息をひそめていました。
「その時になって、初めて恐怖がこみ上げてきました」とケリーさんは言います。
その頃、途中ではぐれた夫のゲリーさんは、負傷した夫婦が会場から逃げるのを助けていました。
その後家族にメールを送ろうとスマホを手にした時、先ほどの夫婦の血が自分の手についているのを目にし、傷ついた人々を助けねばという思いがこみ上げ現場に戻ったといいます。
銃声が響く中、彼は負傷者たちを手当てし搬送するのを手伝いました。
自分が撃たれるとは思わなかったのかと聞くと、「もう目の前にいる人しか見えませんでした」との答え。
1人の人間が600人近くもの人々を一瞬にして殺傷したことは衝撃的です。ですが、身をていしてでも他人を救おうとした人々がたくさんいたことも、忘れてはなりません。
アメリカで銃規制が進まないのはなぜ?
こうした銃乱射事件があると、アメリカでは必ず銃規制に注目が集まります。
日本人からすると、なぜこんなに銃による事件が相次いでいるのに、アメリカでは銃規制が進まないのかという疑問が湧くかもしれません。
アメリカでは銃規制を求める声がある一方、それに反対する声もあります。
銃規制に反対する人の多くは、「犯罪を犯すのは、人であって銃ではない」という主張をします。
僕はこれまで銃所有の権利を主張するアメリカ人たちとルームメイトになったことが2度あります。2人とも家族や友達を大切にする好青年です。
彼らは田舎出身で、銃を持つのが当たり前という環境で育ちました。野生動物から家畜を守ったり、家々の距離が離れている地域で強盗などから家族を守ったりするためには銃が必要だといいます。
田舎に住む人たちの中には、銃規制というのは都会の価値観の押し付けだという人もいるのです。
以前、同じ会社で働いていた50代の印刷技士は、家に泥棒が入ってからというもの、恐怖で銃を持つようになったそうです。彼はそうした身を守る手段をリベラル派は取り上げようとしているのだと、強い嫌悪感を示していました。
数十人が亡くなる乱射事件が起きても、銃規制が一気に進むような世論の変化が起きない。そこには、銃規制を求める人と銃所有の権利を守ろうとする人の視点が全く違うという現実があるのです。
大統領選挙で浮き彫りになった埋めがたいアメリカ社会の溝が、ここにも表れていると言えます。
ただし、今回の乱射事件は遠隔からの襲撃ということもあり、会場にいる人たちが銃を持っていれば被害をもっと抑えられたなどという論理は通じません。銃という武器が簡単に手に入るからこそ起きた事件です。
果たして、トランプ大統領や同じく銃規制に消極的な共和党の政治家たちが、どういう立場をとるのかに注目です。