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米カリフォルニア州オレンジ郡を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書く数少ないジャーナリスト。 アメリカの現地新聞社で、政治や経済、司法、スポーツなどあらゆる分野の記事を取材・執筆。 2012年には、住宅バブル崩壊が南カリフォルニア住民に与えた影響を調査した記事で、カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞を受賞。2017年には、ディズニーや開発業者が行った政治献金を明るみに出した記事で、オレンジ郡記者団協会の調査報道賞を受賞。 大谷翔平の大リーグ移籍後は、米メディアで唯一の日本人番記者を務める。

2011年7月18日

女子ワールドカップ決勝を見ながら

<訂正>女子ワールドカップの第一回大会が1999年だと書いたが、第一回大会は1991年に中国で開催された。米国が初優勝を果たしたのが1999年のアメリカ大会。


女子ワールドカップの決勝戦を見ながらこの記事を書いている。アメリカの前半の猛攻を日本が耐え忍んでいる。

大会の放映権を持つESPNにとっては、願ってもない組み合わせである。

アメリカチームは、ブラジル戦でスポーツ史に残るカムバック勝利を収めて決勝に進んだ。アメリカが優勝した1999年の女子ワールドカップを見て育った選手たちが、自分たちの名前を歴史に刻むチャンスである。

地元開催での初優勝は米女子スポーツ界に大きな影響を与えた。当時の米チームの活躍は、1972年に施行された「タイトル9」という法律なしにはありえなかった。タイトル9は、スポーツを含めた教育の場において、男性と女性に平等の機会を与えることを義務づけた。男性に対する逆差別だという声をあるが、この法律が女性の社会進出を促したことは間違いない。

ロサンゼルスのスタジアムが9万人のファンで埋め尽くされた1999年大会決勝戦で、最後のPKを決めたブランディ・チャステインは、ユニフォームを脱ぎ捨ててガッツポーズをきめた

「あの瞬間を見た少女たちは、自分たちも『やった!』って叫んでガッツポーズをしてもいいんだって思ったに違いない」と彼女はインタビューで語った。

「女性は何をしちゃいけない」という社会的制約を破って、自分らしく生きる勇気を与えたということだろう。あの試合は、政治や法律が社会や個人の意識に変革を起こした証でもあった。

ところで試合はハーフタイムで0−0。日本は立ち上がり、アメリカのプレッシャーになかなかペースをつかめず、持ち味のパス回しにもミスが目立った。

ESPNの試合前の番組では、ドイツを破った日本チームの活躍を東日本大震災からの復興と重ね合わせて、大きく扱った。国民の期待に応えようとする日本代表が、まだ一度も勝てていない世界ランクNo. 1アメリカに挑むというシナリオは、彼女たちを応援したいという気持ちにさせる。

MF宮間あや選手が、地震で知り合いを失ったのは「とても悲しいですけど、その人たちの分まで、自分たちが楽しく生きなければいけないと、今は思っています」と話していたが、その通りだと思う。

どっちの国を応援しているのかと聞かれるが、いいサッカーの試合を見られれば、国同士の争いなどという小さなことはどうでもよくなる。それに男子サッカーにありがちな汚いファールがなくて見ていて気持ちがいい。

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