自己紹介

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米カリフォルニア州オレンジ郡を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書く数少ないジャーナリスト。 アメリカの現地新聞社で、政治や経済、司法、スポーツなどあらゆる分野の記事を取材・執筆。 2012年には、住宅バブル崩壊が南カリフォルニア住民に与えた影響を調査した記事で、カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞を受賞。2017年には、ディズニーや開発業者が行った政治献金を明るみに出した記事で、オレンジ郡記者団協会の調査報道賞を受賞。 大谷翔平の大リーグ移籍後は、米メディアで唯一の日本人番記者を務める。

2012年5月24日

読者は暇じゃない

経費削減にともない、この4年間で、うちの新聞はどんどん紙面のスペースが削られてきた。記者の数も減ってきているので、何日もかけて長い記事を一本書くより、一日に数本の短い記事を書くことが求められる。数千単語をかけて説明しなければ、面白さや問題の複雑さが伝わらないトピックもあるので、十分な取材時間と紙面スペースがないことに、もどかしさを感じることも多い。

その一方で、伝えたいメッセージを簡潔にまとめる訓練にはなっている。専門家ではなく、一般の読者にとって必要な情報は何か、言いたいことをどうしたら最も少ない単語数で表現できるかということを、常に意識するようになった。

これは、優れた文章の基本でもある。コミュニケーションは、メッセージを受け取る側を思いやることから始まる。特に新聞の読者は、暇ではない。毎朝、仕事に出かける前の数十分を使って、自分の興味ある情報を素早く収集できなければ、読者は離れていってしまう。だから新聞記事を書く基本は、一番大切な情報を最初に持ってくることである。凝った書き出しは、とっておきの記事のためにとっておく。

インターネットのメディアやブログは、新聞や雑誌のようなスペースの制限はないが、冗長な文章を読みたいなどとは誰も思わない。意味がちゃんと伝わるのであれば、10字よりも1字、10行よりも1行、10ページより1ページの方がいいに決まっている。読み手が時間を無駄にしないようにという優しさが、ジャーナリストには必要だろう。

これと反対なのが、大学教育だ。ほとんどの課題は、論文やエッセイを何ページ以上という出され方で、長く書いた人が偉いのである。だから学生は必死になって、同じ表現を何度も繰り返したり、余計な修飾語を駆使したりして、無理に文章を長くしようとする。ボクの大学では、卒業論文が必須だったが、内容はともかく、100ページや200ページの長編を書いた学生が英雄扱いされていた。論文も簡潔にというのが基本なのだから、何ページ以上という課題の出し方を、やめるべきではないか。

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