自己紹介

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米カリフォルニア州オレンジ郡を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書く数少ないジャーナリスト。 アメリカの現地新聞社で、政治や経済、司法、スポーツなどあらゆる分野の記事を取材・執筆。 2012年には、住宅バブル崩壊が南カリフォルニア住民に与えた影響を調査した記事で、カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞を受賞。2017年には、ディズニーや開発業者が行った政治献金を明るみに出した記事で、オレンジ郡記者団協会の調査報道賞を受賞。 大谷翔平の大リーグ移籍後は、米メディアで唯一の日本人番記者を務める。

2010年3月7日

スクープとミス

怒涛の一週間が過ぎ去り、心身ボロボロになって週末を迎えた。部署が異動になっての一ヶ月はあっという間だった。まるで昨日が初日だったかのようである。

初心者スキーヤーが、エベレストのてっぺんに取り残され、訳も分からず滑降しているような気分だった。景色を眺めている余裕など全くない。

前回に書いた、接触禁止命令に関しての公判では、判事が母親をうそつき呼ばわりしたことを謝罪するという異例の事態が起きた(判事が公の場で謝ることはほとんどないらしい)。意外にも朝8時半の公判に出席していたメディアはボクだけで、スクープをとることができた。公判後には被害者の母親とその家族をオフィスに呼んで、独占インタビューを行った。

 翌朝の新聞では、ライバルのサンバーナディーノ・サン紙がうちの名前を出して記事を掲載。普段は「デイリープレス」という言葉は使わず、「ビクタービルの新聞」という表現を使うだけに、ちょっと驚いた。

でも良かったのはそこまで。突然の事態に驚いたこともあって、判事の謝罪した内容を素早くメモできず、記事には肝心の謝罪内容が数行しか入れられなかった。それを読んだ編集長のドンが激怒。そうでなくとも1日2記事というノルマを達成できない日々が続いたこともあって、「お前の記者としての器量を測り損ねた」とまで言われた。

大した面接もせずに、報道部に移したのはそっちじゃないかとも言いたかったが、ミスをしたのはこっちだし、器量に欠けているのも事実なので、批判を受け入れるしかない。

速記ができないというより、英語は文章が頭に残りづらい。日本語なら数文程度なら正確に記憶できるけど、英語だと直接引用で必要となる一言一句まで中々覚えられない。スポーツではボイスレコーダーを使って乗り切れたけど、裁判所内ではそれは禁止されている。裁判所担当になって、心配の種ではあったけど、こんな大事な場面でそれが浮き彫りになるとは。

せっかくの機会なので、ドンには自分が苦手だと思っていることを伝えた。

ボクの話を聞いたドンは、人間は決意があれば何でもできると言い、「私は日本で2年間英語を教えて、アメリカの朝日新聞で働いたこともあるけど、お前ほど英語が話せる日本人にあったことがない」と励ましてくれた。

ドンは神経質で上司としてはやりづらいこともあるが、記者としての能力やジャーナリズムへの熱意は尊敬できる(じゃなきゃそもそも異動しようとは思わない)。

最後は二人でがっちりと握手を交わした。彼の気持ちに答えられるよう、一日でも早く一人前の裁判取材ができるようなりたい。

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2 件のコメント:

  1. 期待しているからこそ怒られる。ってことだね。
    良い上司みたいだし、どんどん頑張ってくれ!

    朗報>エビがとうとうやるぞ。4月からテレ東のアニメの歌をやることになった。かなり有名なアニメ。

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  2. すげーなエビ!ずっと追ってきた夢をかなえるんだからたいしたもんだ。調布組の再会が楽しみでしょうがないよ。

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