自己紹介

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米カリフォルニア州オレンジ郡を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書く数少ないジャーナリスト。 アメリカの現地新聞社で、政治や経済、司法、スポーツなどあらゆる分野の記事を取材・執筆。 2012年には、住宅バブル崩壊が南カリフォルニア住民に与えた影響を調査した記事で、カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞を受賞。2017年には、ディズニーや開発業者が行った政治献金を明るみに出した記事で、オレンジ郡記者団協会の調査報道賞を受賞。 大谷翔平の大リーグ移籍後は、米メディアで唯一の日本人番記者を務める。

2015年9月14日

薄らぎゆく9・11

多くの日本人が、2011年3月11日に何をしていたかを覚えているように、アメリカ人にとってもそういう日があります。

日本軍による真珠湾攻撃。ケネディ大統領暗殺。そして、2001年の同時多発テロ。

テロ事件以降、9月11日はPatriot Day (愛国の日)に指定されています。星条旗は反旗の位置に下ろされ、世界貿易センターに第一機が突入した東海岸午前8時46分には、犠牲者のために黙祷が捧げられます。今年も、オレンジカウンティのあちこちで、被害者を弔い、救助に当たった消防士や警察官、対テロ戦争に従事した軍人を讃える集会が開かれました。

僕は、担当地域のランチョサンタマルガリータ市が催したセレモニーを取材。地元のボーイスカウトとその家族を中心に、数百人が街の公園に集まりました。

現役軍人や市長がスピーチをし、9・11や対テロ戦争の犠牲になった住民の名が読みあげられました。感極まって涙を流す参加者も。

そんな中、僕の印象に残ったのは、厳かな式の最中に聞こえてきた歓声。公園内にあるフットサル場で試合が行われていました。

9・11ほどの事件でも、時が経てば人々の記憶とともに薄らいでゆくものです。今の高校生や大学生には、14年前の事件を覚えていない者も多いはず。小・中学生などは生まれてすらいなかった。

現実はいずれ歴史になります。

それでも9・11のセレモニーに参加していると、空港のセキュリティーは緩く、大都市でもテロに怯えることがなかった時代を思い出します。あの日以前の世界があったことを再確認させてくれるのです。

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