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米カリフォルニア州オレンジ郡を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書く数少ないジャーナリスト。 アメリカの現地新聞社で、政治や経済、司法、スポーツなどあらゆる分野の記事を取材・執筆。 2012年には、住宅バブル崩壊が南カリフォルニア住民に与えた影響を調査した記事で、カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞を受賞。2017年には、ディズニーや開発業者が行った政治献金を明るみに出した記事で、オレンジ郡記者団協会の調査報道賞を受賞。 大谷翔平の大リーグ移籍後は、米メディアで唯一の日本人番記者を務める。

2017年1月1日

日本人がスピーチやプレゼン下手な本当の理由

日本人がスピーチやプレゼン下手だってよく耳にしますよね。

確かに、日本人が行なった有名スピーチってあまり思い浮かびません。滝川クリステルさんの五輪招致プレゼンくらいでしょうか。

一方、アメリカからはキング牧師の「私には夢がある」やケネディ大統領の就任演説など、数々の名スピーチが生まれています。オバマ大統領やスティーブ・ジョブズの演説力は日本でも有名です。

もちろん、人前で話すのが苦手なアメリカ人もたくさんいます。スピーチが下手だったり、人前で緊張したりするアメリカ人を何人も目にしてきました。

でも日本に比べて、堂々と自分の意見を言える人がアメリカに多いのは確かです。仕事のインタビューで、高校生など若い人がしっかりとした受けごたえをするのには関心させられます。オリンピックを見ていても、アメリカの選手は表情豊かにハキハキと話します。

この差はどこから生まれるのか?

アメリカでは、小さい頃から学校でスピーチやプレゼンの練習をさせられるからだという意見をよく聞きます。日本の学校でも人前で話す機会を増やすべきだと。確かに、僕が通っていたアメリカの小学校では、自分で調査したレポートを発表する授業がありました。

でもそれだけでは、日本人の伝える力は根本的には改善しません。日本人とアメリカ人のコミュニケーション力の差を生む、最たる違いが埋まらないからです。

それは、社会の「空気」です。日本人がスピーチやプレゼン下手な最大の理由は、思ったことを言えない社会の中で育ち自己表現が苦手だということにつきます。

多様なアメリカでは、人々が違った意見や価値観を持っているのは当たり前だという前提があります。服装や髪型は千差万別。好きな音楽やテレビ番組も違う。自分の価値観に合わないことをする人に対しても、「お前はおかしいから合わせろ」というのではなく、放っておいてくれます。

一方、日本では周りに合わせろという空気が異常なまでに濃い。学校でも会社でも合わせられないものは社会不適合者のレッテルを貼られます。

日本の公立学校に通って、強く自己主張をする人、マジョリティから外れた意見を言う人がいじめられる光景を見てきました。特に、女性は陰湿に仲間外れにされます。

だからいつの間にか、周りに合わせて当たり障りのないことしか言わないようになってしまう。僕自身も日本で生きるすべとして身につけました(それでも周りと違う存在として映っていたようですが)。

そして日本を離れて気づいたこと。日本では熱意を持って真面目なことを言うと、ツッコミや茶々を入れられるのです。最近では「意識高い系」などと、一生懸命な人を蔑む言葉が登場しています。冷めていることがクールで格好いいとされる。恥ずかしさを笑いでごまかす文化もあるんでしょうが、それは海外では通じません。夢や理想を語る政治家も出て来づらい。

アメリカで人前で話をして笑われたような記憶はありません(ジョークを笑うのは別です)。日本で言ったらクサいって思われるようなことでも、真剣に聞いてくれます。

転職で職場を去る時に送別会で短いスピーチをしたことがあります。「この新聞社や町で会えたみなさん一人一人の暖かさがあったから、僕はこの場所が大好きになれました。近くに家族がいなくても寂しくありません。幸せでした」なんて内容だったと思いますが、静かに耳を傾けるみんなの表情や、終わった後に涙を流してくれた人のことを今でも忘れません。ハリウッド映画の感動シーンは、決して画面の中だけのものではなかった。
南カリフォルニアの女性支援団体から招かれて、ジャーナリズムについて講演した時の様子。ジョークに笑ってくれたり、感動して拍手をしてくれたりと話しがいがあります。
オーディエンスの反応が良いと、話す方も気持ちが良くなります。観客が話し手を育てるとでもいいましょうか。

日本では意見だけでなく、感情表現まで周りに合わせることが多い。周りの友達が笑っていたら自分も笑う。周りが泣いているから自分も泣く。一人だけ笑っていたら、寒いやつだと思われる。日本のコンサートやスポーツ会場ではみんなが同じ反応をするけど、アメリカではバラバラです。

高校生や大学生の日米野球を取材した時に、アメリカを訪れた日本の選手たちが口を揃えて言っていました。お客さんの反応がたまらない、いつかまたこっちで野球をやりたいと。数万人が詰めかける甲子園の舞台を経験したスターたちが、数百人ほどしか入っていないスタジアムの雰囲気に感動したと言うのです。

人前で堂々と話せるアメリカ人が多いのは、感じたままに思いや感情を表現することが許容されているからです。こう言うべきだ、こう感じるべきだ、と周りに伺いを立てる必要がない。オバマ大統領やジョブズが出てくるのも納得です。ありのままの自分を表現することが、人を感動させるのですから。

思ったことを言えない「空気」の中で、スピーチやプレゼンの授業を増やしたとしても、当たり障りのないことを言う人ばかりしか育ちません。日本でそうした授業を増やすのならば、発言者が周りの生徒の目を気にせずに自分の意見を言える「空気」を作ることから始めるべきです。

一人一人が自分と違う人を、そのまま受け入れる寛容性を持つことが出発点です。

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