自己紹介

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米カリフォルニア州オレンジ郡を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書く数少ないジャーナリスト。 アメリカの現地新聞社で、政治や経済、司法、スポーツなどあらゆる分野の記事を取材・執筆。 2012年には、住宅バブル崩壊が南カリフォルニア住民に与えた影響を調査した記事で、カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞を受賞。2017年には、ディズニーや開発業者が行った政治献金を明るみに出した記事で、オレンジ郡記者団協会の調査報道賞を受賞。 大谷翔平の大リーグ移籍後は、米メディアで唯一の日本人番記者を務める。

2011年1月9日

レーシックのキセキ

年明け早々に、レーシックを受けた。両目でわずか20分足らずの手術だったけど、一日経って目を開くと、かれこれ15年近くもお付き合いしてきたぼやけた世界とは、全く別世界が広がっていた。昨日は天気が良く、アパートの窓からは、深い青空とサン・ガブリエル山脈の境界線がくっきりと見渡せた。

今のところ、コンタクト装着時と同じくらいか、もしくはそれ以上にまで視力が回復している。視力が完全に安定するまでには、3ヶ月近くかかるとのこと。このまま順調にいってくれることを願う。(ちなみにアメリカでは視力表示が日本と異なる。20/20が1.0にあたるらしいが、未だしっくりこない。)

以前から眼球体操や視神経マッサージなどの視力回復に取り組んできたが、レーシックは値段が高く、目にレーザーを当てることへの恐怖心もあって、現実的な選択肢には入っていなかった。でも、レーシックを受けた同僚や弁護士たちが、口をそろえて「人生が変わった」と言うので、昨年末とりあえず検査を受けてみることにした。

ハイデザートにはレーシックを行っている眼科がないため、オンタリオという町のレーザー視力矯正センターを訪ねた。一時間ほどの検査を行った結果、視力がある程度のところで安定していて、角膜も厚いので理想的な候補者だとお墨付きをもらった。日本円にして40万円と手術費は安くはないが、いつかは受けるのであれば、数年を無駄にせずにすむと自分に言い聞かせ、最先端の手術を受けることにした(イントラレーシック/PRKというらしい)。

幸いにも、かかりつけの眼科医が矯正センターと提携していたので、手術前後の検査を自宅の近くで行うことができた。手術の二日前に瞳孔径測定を行い、半日ほど両目が光に敏感に反応していた。

手術当日と翌日は休みをもらうことができたが、前日は仕事がたてこんで、手術は頭の片隅に追いやれらていた。おかげで余計な緊張は避けられた。

当日は運転して帰ることができないので、ルームメイトに矯正センターまで送り迎えを頼んだ。連れ添いは手術の様子を窓ガラスごしに見ることができるのだが、ルームメイトは恐れをなして控え室で待つことに。

スタッフの説明では、一人の医者が一日に17件もの手術を行うという。片目あたり10分弱なので、かなり儲かる商売に違いない。

客を脅かさんばかりの表記がしてある同意書にサインをし、手術費用を払った後、手術室の近くにあるソファに座って順番を待った。

ようやく順番がやってきて一台目の機械の下に横になると、はさみのようなもので眼球を固定され、「トータル・リコール」のシュワちゃんを思い出した。そして機械から発射される光を見ていたら、突然目の前が万華鏡状態に。看護師さんに次の台に移ってくださいと言われ、立ち上がるものの、目の前が曇って何も見えない。

「見えますか」と聞かれ、「見えるわけねーだろ」と言い返したかったが、待合室で看護師さんが美人だったと耳にしたため、とりあえず平常を装い、「いや、全く見えないんですが」と応えた。すると美人(だという)看護師さんが手をとり、次の台まで案内してくれた。気分は一瞬で、シュワちゃんからラッキーマンへと変わった。

二台目の機械に移ると、ついにレーザー光線が照射された。目で緑色の光を追うだけで、レーザー自体は見えず、照射音と焼け付くような匂いが漂ってきた。コンピューター制御になっているらしく、レーザーが狙っている箇所からずれると、動作が止まり、そこからすぐに再スタートできるという。信じられない精密さだ。

レーザーが終わると、手術医がはけらしきようなもので眼球をなでているのが見えた。何も感じないので、自分の目とは思えない違和感があった。医者と看護師が談笑しているのが聞こえてきて、緊張が和らいだ。

手術直後に目を開けると、プールの中にいるようにぼけてはいるが、手術前より断然遠くが見えるようになっている。直後の検査によると、毛細血管に若干の出血が見られたものの、問題なしとのこと。その日はすぐに寝て、できる限り目を閉じているようにと言われた。

ゴーグルを着けてルームメイトの車に乗り込み、乗車中はずっと目を閉じていた。家に着いてIn-N-Outのハンバーガーとフライドポテトをむさぼり、マットレスに横になった以降の記憶はなく、15時間ほど眠り続けた。睡眠薬を生まれて初めて飲んだが、絶大な効果である。

翌朝起きて、外の景色を確認したときは、はしゃぎたくなったというよりは、懐かしい感覚にとらわれた。こんなにモノが見えるのは、小学生以来かもしれない。

しばらくはこの感覚に慣れると同時に、目を酷使しないよう注意しなくては。

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